サブカルチャーとしての電柱

↑永遠と続く道路をどこまでもついてくる電柱、スノーポール。(北海道)

電柱を好きになったのは、小さい頃、車に乗っていると、色々な「顔」をした「電柱たち」がどこまでもついてきてくれる「安心感」からであった。小さい頃から、道路沿いをついてくる「電柱たち」を何時間も一本一本見ていた。「不安感」が強かった自分にとって、道路の世界は、電柱・スノーポールがついてきてくれ、信号機が面倒を見てくれ、街灯が道を照らし、案内標識が行き先を教えてくれる居心地の良い世界であった。

小学生くらいになると、ノートに永遠と続く道路の世界の絵を描いた。

↑ノートに描いた永遠と続く道路の世界の絵(次ページ以降もそのまま続けていく)、600ページ以上は描いただろうか。

小さい頃から、「迷宮」が好きであった。この絵も始めは迷路で、後に道路になったものである。迷宮の流れが好きで、迷宮である道路沿いの電柱も、【電柱→次の電柱→次の電柱】のように流れていて、次々に「顔」があり暇をしなかったし、これから先の電柱に希望を見出すことができた。

迷宮には「矢印」があることが多く、矢印も好きであった。その為、案内標識の矢印も好きで、矢印の先(地名等)に希望を見出すことができた。

↑案内標識と、続いていく道路・スノーポール(北海道)

迷宮(道路)の先、つまり電柱群の先に希望を見出し、安心感を得ることができたのである。